平等となる根拠
わけあって午前中の更新です。
平等という言葉は、自由とひっくるめて出てくることがしばしばあります。しかし、様々な規制がゆるくなり、表面上は自由になった今の世間ほど、平等からかけ離れていっています。
平等という言葉は、「法の下の平等」というように使用されます。「法の下の平等」とは、身分制度の否定が、法律で保障されていて、生まれながらにして平等である、といった意味を含んでいます。
もっと具体的な例では、総理大臣を選ぶ投票に一般の国民が参加できないのは不平等だが、成人に達した国民が選挙に投票するのは平等であるととらえることができます。
また、特定の部屋に入った小学生ぐらいのこども全員に、とりあえずケータイやパソコン、電卓をいじらせることは平等、
文系・理系という分け方は内容的に不平等だが、
落ちこぼれ学校の政策として、生徒全員に看護大学を受験させるというのは、平等だといえます。(順番が変)
さらに、自由環境である自然界では環境異変により絶滅の危機にさらされている生物の種類が、人間の手で保護されて育てられると元気に育つというものも、挙げられます。
「政策として」という文言がありました。平等という状態は、管理するものがいて、初めて実現するものです。平等とは、ある意味強制がはたらくものです。
特定の組織に入学や入社した初期段階では、平等であることは、うまくいきます。しかし、社会主義国にあるように、平等な状態に管理するものが次第に独裁するようになり、平等な立場にある人々が働かなくなり、失敗することが少なくないです。